ETS手術とリバーサル手術

手掌多汗症のクライマーが、ETS手術をして、重度の後遺症に苦しみ、フィンランドでのリバーサル手術に成功。ゴミ収集員復帰を目指す物語

手術後の身体④PTSDと診断されて

湿度が高いとOUT

徹底的に代償性発汗対策をして、日々を過ごしてきましたが、遂にきました全多汗症患者最大の敵「梅雨」です。「湿気」です。人間の力では自然の力に到底敵わないことを悟った瞬間でした。

前回考えた対策が全てカウンターとして返ってきました。「倍返しだ!」と言うんでしょうか…

霧吹き 最初は良いんですが、湿気が凄いと水分が蒸発しないので気化熱が発生しなく、徐々に体温で、蒸されて行きます。

冷感日焼け止め 湿度が高いと肌の水分量が保たれるので、塗らなくても平気でした。

アームカバー これも同上です。着用していると暑いです。

UVカットインナー 吸汗速乾との事ですが、制服ビチャビチャです。薄いエアリズム着て2枚で試しましたがビチャビチャでした。

エアリズムステテコ
冷感ハーフスパッツ これも湿気で汗が蒸発しないので、すごいビチャビチャになります。

無限クールタオル これも最初は気持ち良いのですが、体温で徐々に温められていき、不快になっていきます。

日々、試行錯誤していきましたが、万策尽き最終的には、何も対策しませんでした。

「無の境地」というやつですね。
まだ救いだったのが会社にシャワーと洗濯機があったので、昼休憩時にシャワー浴びて着替えられたのと、制服とかを洗濯できたのが救いでした。ロッカーにはインナーとパンツを4枚位予備として置いていました。

(※上記の対策は梅雨前までは有効、ただ外仕事でなければ有効かも知れません。)

雨合羽は凶器になる

凄い大雨が降っていた朝の事です。大雨なので皆、合羽を着て仕事します。
僕はどうせ汗で濡れるから…と思ってたんですけど、まぁ周囲の空気に流されて合羽を着用する事になり、その日は1日中雨予報でした。

制服着て合羽着ると熱いので、僕はステテコとインナーの上から合羽を着て仕事をしていました。


途中で雨が止んでしまい結果絶望でした。汗と湿気と体温の上昇で、脱水症状熱中症の一歩手前というか、なってたかも知れないです。


筋肉がけいれんしてて、フラフラしていました。水分とりながら、収集車のエアコンで休みながら、何とか仕事終わらせて、会社戻って合羽脱ぐと、ステテコが汗でザーッと4~5回絞れるんですね、手術前は合羽を着て走っても、そんなに汗をかかなかった人間からすると、これはショックでした。


脱水症状熱中症異常な汗の量を体験してから、心が少しずつ壊れていくようになります。

代償性発汗で苦しんでいる方、梅雨時の合羽を着ての作業はホントに危険です。水分と塩分は用意しておいた方が良いです。

心療内科を受診

考えた対策が意味をなさなくなった事で、いつ脱水症状熱中症になるか分からない不安と術後から続く不眠が更に悪化して、無気力無感情な状態が、続き心療内科を受診しました。

医師にはETS手術を受けてからの経緯を事細かく説明しました。僕の身体を心配してくれたとても良い医師でした。

出された診断結果は「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と言われました。

ETS手術をした事を酷く後悔し、それを受け入れられずにいる状況からきている、と説明がありました。仕事は体調と相談して下さいと言われ、複数の薬を処方してもらい、数日様子を見ていましたが、良くなる気配は無く、悪化していきました。

  • 無気力
  • 無感情
  • 仕事をする事の恐怖感
  • 震え
  • 朝と夜に酷く気分が落ち込む
  • 言葉が出しずらい

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まさにこんな感じでした。心ここにあらずという状態

梅雨明けも真近で気温は上昇していきました。仕事中に目眩を感じ、精神的、肉体的に追い詰められていた僕は、妻に相談し退職を考えるようになり、会社の社長や従業員の方に手術後、自分に起きてきた状況と、急ですが退職を考えてる旨を伝えました。

とても親身になって話を聞いてくれて、何とかして僕が仕事を続けられる様に考えてくれました。「運転だけでいいよ」「とにかく無理するなよ」「暑くないか?」と気を使ってくれたり本当に良い会社でした。

2~3日運転だけの業務をしてましたが、日差しによる目眩と、代償性発汗で限界でした。夜は寝られずに横たわり朝は不安と恐怖感で身体がうまく動かせませんでした。

今思うと、うつ状態だったかも知れません、会社へ休む電話も自分で出来なくなってました。
その時に考えていた事は、ETS手術をした事の後悔。
妻や職場の人に迷惑をかけて申し訳ない事。
仕事を続けたい気持ちはあるけど、いつ倒れるか、運転してて事故を起こすんじゃないか、という不安と恐怖感。
今後の身体の不安。
自分なんかいないほうが良いんじゃないか?などずっと考えていました。
中でも仕事の事を1番に考えていた気がします。

僕は「ゴミ収集」と言う職業にやりがいを感じて、仕事に誇りを持っていました。
中には職業差別的な酷いことを言われたこともありますが、目をキラキラさせてゴミ収集車を見てとても喜んでいるこどもたち、「いつもありがとうね」と声をかけてくださる方、常にチームワークを意識して、困ったら声をかけてくれる職場の方々がいました。

妻の言葉

妻が「その身体でよく頑張ったよ、私は誇りに思うよ。」

 

この言葉を聞いた時に、身体と気持ちが楽になったのを今でも覚えています。そして退職して療養に専念しようと決意しました。

 

退職の手続きを済ませてから、心療内科でもらった薬が効いてきてここから少しずつ精神的に回復していくようになります。

この時からSNSなどでETS手術の後遺症で苦しんでいる方との交流や、リバーサル手術の事などを知るようになって行きます。